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2008年11月02日
タケシさんの歴史 その2
前回はタケシさんが政治家を目指すまでのエピソードでした。
政治家を目指すことを決意したタケシさん。しかし、その道は決して楽なものではありませんでした。お母さんの和子さんが政治家になることに反対していたからです。和子さんはタケシさんを医者にさせたかったのです。
そのため、和子さんはタケシさんに医学部に行くように勧め、タケシさんもその意に沿うように勉強し、内地の大学の医学部を受験します。
しかし、もともと政治家を目指しているタケシさん、当時の那覇高校でも成績優秀ではありましたがどちらかというと文系だったようで浪人してしまい、最終的に法政大学の法学部に入学しました。
↑東京時代のタケシさん
無事入学したものの、苦難(?)は続きます。時は1970年代。第2次安保闘争の時代です。当時は学生が大学で破壊活動に走り、大学が学生を入れないという非常に特殊な時代でした。そのため、勉強に来ているはずのタケシさんも中に入れてもらえなかったそうです。
それでもタケシさんの向学心は旺盛でした。タケシさんは下宿でお酒を飲みながら読書に明け暮れ、政治家になる上での素地作りにいそしんでいたのです。そして、3年次頃には安保闘争、学生運動も下火となり、ようやく大学に入れるようになります。そして、無事卒業論文を仕上げ、卒業となりました。
2008年10月28日
タケシさんの歴史
今日は昔のタケシさんにスポットライトを当ててみようと思います。
タケシさんは昭和25年、小学校の先生をしていた翁長助静さんの末っ子として生まれました。
↑学童時代のタケシさんです
↑中学校時代のタケシさんとお兄さん、お姉さん。右から2番目がタケシさんです。
そして4人のお兄さん、お姉さんに囲まれて元気いっぱいに育ちました。
また、小、中、高校は児童会長・生徒会長を勤めました。この頃から政治家への道を志していたそうです。
タケシさんが政治家を目指すきっかけは、お父さんの助静さんでした。助静さんは那覇と合併する前の旧真和志村で村長、旧真和志市長をされていました。しかし、那覇市と真和志市の市町村合併の際の戦いで落選してしまったそうです。そのとき、お母さんの和子さんが、「タケシ、お前だけは政治家になってくれるな」と、泣いたのだそうです。タケシさんが10歳の時でした。
しかし、このとき、落選して初めて涙を流す父をみて、タケシさんは、将来政治家になると固く決意したのだそうです。そのことを強く意識していたからこそ、小学校から児童会長を勤めていたのかも知れません。
では、次回に続きます。
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タケシさんは昭和25年、小学校の先生をしていた翁長助静さんの末っ子として生まれました。
↑学童時代のタケシさんです
↑中学校時代のタケシさんとお兄さん、お姉さん。右から2番目がタケシさんです。
そして4人のお兄さん、お姉さんに囲まれて元気いっぱいに育ちました。
また、小、中、高校は児童会長・生徒会長を勤めました。この頃から政治家への道を志していたそうです。
タケシさんが政治家を目指すきっかけは、お父さんの助静さんでした。助静さんは那覇と合併する前の旧真和志村で村長、旧真和志市長をされていました。しかし、那覇市と真和志市の市町村合併の際の戦いで落選してしまったそうです。そのとき、お母さんの和子さんが、「タケシ、お前だけは政治家になってくれるな」と、泣いたのだそうです。タケシさんが10歳の時でした。
しかし、このとき、落選して初めて涙を流す父をみて、タケシさんは、将来政治家になると固く決意したのだそうです。そのことを強く意識していたからこそ、小学校から児童会長を勤めていたのかも知れません。
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