› ひやみかち うまんちゅの会 翁長雄志(おながたけし)ハイサイぶろぐ › 2008年10月
2008年10月28日
タケシさんの歴史
今日は昔のタケシさんにスポットライトを当ててみようと思います。
タケシさんは昭和25年、小学校の先生をしていた翁長助静さんの末っ子として生まれました。
↑学童時代のタケシさんです
↑中学校時代のタケシさんとお兄さん、お姉さん。右から2番目がタケシさんです。
そして4人のお兄さん、お姉さんに囲まれて元気いっぱいに育ちました。
また、小、中、高校は児童会長・生徒会長を勤めました。この頃から政治家への道を志していたそうです。
タケシさんが政治家を目指すきっかけは、お父さんの助静さんでした。助静さんは那覇と合併する前の旧真和志村で村長、旧真和志市長をされていました。しかし、那覇市と真和志市の市町村合併の際の戦いで落選してしまったそうです。そのとき、お母さんの和子さんが、「タケシ、お前だけは政治家になってくれるな」と、泣いたのだそうです。タケシさんが10歳の時でした。
しかし、このとき、落選して初めて涙を流す父をみて、タケシさんは、将来政治家になると固く決意したのだそうです。そのことを強く意識していたからこそ、小学校から児童会長を勤めていたのかも知れません。
では、次回に続きます。
メルマガ登録用QRコード
タケシさんは昭和25年、小学校の先生をしていた翁長助静さんの末っ子として生まれました。
↑学童時代のタケシさんです
↑中学校時代のタケシさんとお兄さん、お姉さん。右から2番目がタケシさんです。
そして4人のお兄さん、お姉さんに囲まれて元気いっぱいに育ちました。
また、小、中、高校は児童会長・生徒会長を勤めました。この頃から政治家への道を志していたそうです。
タケシさんが政治家を目指すきっかけは、お父さんの助静さんでした。助静さんは那覇と合併する前の旧真和志村で村長、旧真和志市長をされていました。しかし、那覇市と真和志市の市町村合併の際の戦いで落選してしまったそうです。そのとき、お母さんの和子さんが、「タケシ、お前だけは政治家になってくれるな」と、泣いたのだそうです。タケシさんが10歳の時でした。
しかし、このとき、落選して初めて涙を流す父をみて、タケシさんは、将来政治家になると固く決意したのだそうです。そのことを強く意識していたからこそ、小学校から児童会長を勤めていたのかも知れません。
では、次回に続きます。
メルマガ登録用QRコード
2008年10月27日
首里城
10月26日は琉球王朝絵巻行列がありましたね。
夕方の首里城です。
首里城は火災や戦災で何度か焼失していて、そのたびに復興されています。
正殿の床にはガラス張りの箇所があって、下には戦前の首里城の土台(城壁?)が見えます。この土台を保存するために、現在の首里城は元の首里城より70センチほどかさ上げして建てられているのだそうです。
首里城から那覇の街を見下ろすことができます。時が移ろい、建物が新しくなっても、首里城はいつでも那覇の街を見守っていてくれるんですね。
メルマガ登録用QRコード
2008年10月17日
今日は何の日
10月17日はそばの日です♪
「そばの日」は、沖縄県独自の記念日です。沖縄そばは、「そば」という名前ですが、そば粉を使っておらず小麦粉麺なので、昔は「そば」として販売できなかったそうです。
しかし、沖縄の長い食文化の中で「そば」として浸透していることから沖縄「そば」として認められ、その記念日として10月17日が「そばの日」と制定されました。
というわけで、ゆうちゃんとにーにーは沖縄そばを食べに行ってきました。お店は、那覇市古島にある「田そば」です。
こちらはカツオ節、煮干、利尻コンブなどでダシを取っていてそば汁がとてもおいしいのです。また、具材も県産の生豚肉を使っています。写真のメニューは「ソーキ入り田そば」で、三枚肉、赤肉、ソーキの3種類の肉が入っていてとても豪華ですw
というわけで いただきまーす (^Q^)アーン
メルマガ登録用QRコード
2008年10月14日
NOー饅頭
のーまんじゅうです
出来立てです。ムーチーの葉(月桃の葉)の香りが素晴らしいです。
のーまんじゅうと言えば沖縄の祝い事なんかでよく出てくるお菓子ですが、大抵は冷めてから食べますよね。
冷めてもおいしいですけど、出来立てのーまんじゅうはふっくらして、香りもすごくて、冷めてるときより5割増くらいおいしいですw 最高です
ところでのーまんじゅうってどんな字を書けばいいんでしょうね。今日は「のーまんじゅう」って書きましたけど、「のまんじゅう」とか、「のぉまんじゅう」とか、「のうまんじゅう」とかでもいけそうですよね。
でもどんな字を当ててものーまんじゅうのおいしさは不滅ですのでw
皆さんも是非、一度出来たてをご賞味下さい♪
メルマガ登録用QRコード
Posted by きじむなーのゆうちゃん at
11:40
│事務所のゆかいな仲間たち
2008年10月11日
緑の壁
那覇市役所へ行ってきました┏(  ̄▽ ̄)┛
↑緑のアーチのお出迎えです(^-^*)/
↑よくみるとゴーヤーでしたヽ(*'0'*)ツ ワァオォ!!
屋上に上ります・・・
↑屋上に上ってみると庭園が!!のどかでいい雰囲気です♪
↑市役所の壁は一面緑のつたに覆われています。
那覇市ではヒートアイランド現象を何とかしようと、屋上緑化に取り組んでいます。タケシさんも自宅の屋上を緑化して、ご自分で手入れなさっているそうです。市民の会でも「my☆箸」運動を展開中ですが、ひとりひとりの地道な活動が那覇市を、そして出来れば地球の環境をよくしていけるといいですね☆
2008年10月10日
おじぎ草
↑沖縄で良く見かけるこの木 ◎ッ≡( ̄ー『+』ゝ発見!!
これ『おじぎ草』に似てません(*´д`)??
これも夜になれば葉が閉じるのでしょうか?
↑。゚+.(○ゝω・)b+.゚。ズーム
↑お昼の雨が嘘のように晴れています。・∵゜:;,・ (*'-')r[]。.::∵: ○ ;,・。∵゜:;,。・
でも、この雲怪しいですよね(汗)
明日は晴れると良いですねぇヽ(*’-^*)。
桃李物言わず、下おのずから道をなす。
”桃の木はなにもいわず、そこにあるのだが、人が香りにつられ歩いているうちに自然と道が出来る。”
このがじゅまるブログも多くの人が集う場になるように、書いています。
きじむなーのゆうちゃんとにーにーと最近ネーネーも遊びに来るようになりました。
政治は難しい、政治家は好きでない
政治から目を背けないで
みんなで那覇市をよくしましょう!
いつも、このブログに立ち寄って頂き、ありがとうございます。
メルマガ登録用QRコード
2008年10月06日
なぜ翁長雄志は政治家になったのか
今日はタケシさんに直接お話をききました。テーマは「なぜ翁長雄志は政治家になったのか」です。
タケシさん
私の親父も兄貴も政治家であったなかで、小さいころから選挙活動の渦の中で生きてきました。小学校4年ぐらいからポスター貼りを手伝ってそれから以降そういうことを繰り返してきたわけですが、そういった15回の選挙をやるなかで、子供心あるいは成長するにつれ、沖縄県民が招いてきた基地ではないのにもかかわらず、それをはさんで革新は平和だ、保守は経済だと言うようなニュアンスで本当にそれこそ県民が2分されてお互い憎しみ合うというものを肌で感じてきました。
↑23年前、那覇市議初挑戦の時。出陣式でダルマへ目を入れている時の写真です
こういった憎しみを乗り越えて県民がひとつになって、沖縄問題を解決できるようなものにしなければならないと小さいころからずーと考えていました。その中で父が那覇市と合併する前に真和志の村長、市長をしたこともありまして、政治家を目指すのであれば那覇市長になりたいなと思うようになりました。
また行政の長の方が、県民の心、市民の心というものを一つに出来るのではないかと思い、23年前に那覇市会議員を皮切りに政治家としてスタートすることになりました。
↑出陣式を終え遊説に出発。
そして私自身強い気持ちで、将来那覇市長になりたいと夢を持ち、さらに市民の心を一つに出来るような、イデオロギーを乗り越えるような、そうゆう政治をするのだということでやってきたわけです。
有難いことに8年前に那覇市長に就任して、これまでの8年間初心を忘れることなく、一生懸命やってきました。
そのスローガンの一つが市役所は、「市民に対する最大のサービス産業でなければならない」、「市民の幸せを職員の誇りとする」、「生きがいとする那覇市の職員になってよかった、公務員になってよかった」、こういった職員の意識改革を築くことによって。市民の市役所への信頼を勝ち取る。これが私の第一番目の目標でありました。
↑那覇の開南新栄通りを歩くタケシさんです。市議会一期目へ挑戦のころです。
タケシさんの政治に対する思いの深さ、志の源流が感じられるお話だと思います。
この記事はホームページの「翁長雄志オフィシャルサイト」と連動しています。HPではタケシさんの思いや実績などを紹介していますので、ぜひご覧下さい。http://onaga1178.jp/2008/10/post-8.html
メルマガ登録用QRコード
タケシさん
私の親父も兄貴も政治家であったなかで、小さいころから選挙活動の渦の中で生きてきました。小学校4年ぐらいからポスター貼りを手伝ってそれから以降そういうことを繰り返してきたわけですが、そういった15回の選挙をやるなかで、子供心あるいは成長するにつれ、沖縄県民が招いてきた基地ではないのにもかかわらず、それをはさんで革新は平和だ、保守は経済だと言うようなニュアンスで本当にそれこそ県民が2分されてお互い憎しみ合うというものを肌で感じてきました。
↑23年前、那覇市議初挑戦の時。出陣式でダルマへ目を入れている時の写真です
こういった憎しみを乗り越えて県民がひとつになって、沖縄問題を解決できるようなものにしなければならないと小さいころからずーと考えていました。その中で父が那覇市と合併する前に真和志の村長、市長をしたこともありまして、政治家を目指すのであれば那覇市長になりたいなと思うようになりました。
また行政の長の方が、県民の心、市民の心というものを一つに出来るのではないかと思い、23年前に那覇市会議員を皮切りに政治家としてスタートすることになりました。
↑出陣式を終え遊説に出発。
そして私自身強い気持ちで、将来那覇市長になりたいと夢を持ち、さらに市民の心を一つに出来るような、イデオロギーを乗り越えるような、そうゆう政治をするのだということでやってきたわけです。
有難いことに8年前に那覇市長に就任して、これまでの8年間初心を忘れることなく、一生懸命やってきました。
そのスローガンの一つが市役所は、「市民に対する最大のサービス産業でなければならない」、「市民の幸せを職員の誇りとする」、「生きがいとする那覇市の職員になってよかった、公務員になってよかった」、こういった職員の意識改革を築くことによって。市民の市役所への信頼を勝ち取る。これが私の第一番目の目標でありました。
↑那覇の開南新栄通りを歩くタケシさんです。市議会一期目へ挑戦のころです。
タケシさんの政治に対する思いの深さ、志の源流が感じられるお話だと思います。
この記事はホームページの「翁長雄志オフィシャルサイト」と連動しています。HPではタケシさんの思いや実績などを紹介していますので、ぜひご覧下さい。http://onaga1178.jp/2008/10/post-8.html
メルマガ登録用QRコード
Posted by きじむなーのゆうちゃん at
15:20
│答えて!教えて!聞かせて!!